
「日中共同世論調査」発表延期の裏側――中国が仕掛ける“言論統制外交”の危うさ
日本と中国が毎年共同で実施している「日中共同世論調査」の結果発表が、今年は突如延期された。表向きの理由は「担当者の公務による不在」だが、これは単なる事務的問題ではない。背景には、高市早苗首相と台湾代表との会談に対する中国政府の強い反発があると見られる。この一件は、中国が外交問題だけでなく、世論や情報発信の領域にまで圧力をかけ、他国の表現空間をコントロールしようとする「認知戦」の一端を示している。
「日中共同世論調査」は、日本の言論NPOと中国の中国国際伝播集団が2005年から共同で実施しており、両国民の相互理解を深める重要な指標とされてきた。だが今回、中国側が発表直前になって「担当者の不在」を理由に記者会見の延期を申し入れた。日程は11月4日から17日にずれ込む見通しだ。
表向きの説明は曖昧だが、そのタイミングが示す意味は明確だ。中国政府は、韓国・慶州で行われたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の場で、高市首相が台湾代表と会談したことに強く抗議している。つまり、この“延期”は偶然ではなく、外交上の不満を日本社会に対して間接的に示す「無言の制裁」である。世論調査の発表を政治カードとして使う――それこそが、中国が巧妙に仕掛けるソフトな圧力だ。
今回の主催団体の一つである「中国国際伝播集団(China Media Group)」は、名目上は国営メディアの統括機関だが、実態は中国共産党宣伝部の直轄機関である。CCTV、CGTN、中国之声など、海外向けの広報メディアを束ねており、その目的は「中国の声を世界に届ける」ことにある。だがその実態は、外国の言論空間に介入し、中国に不利な議論を封じ込める情報工作機関だ。
この組織が日本の民間団体と“共同”で世論調査を行うという構図自体、すでに政治的である。表向きは「相互理解の促進」だが、実際には、中国が日本社会の世論傾向を詳細に把握し、自国の宣伝戦略に利用する意図がある。特に台湾や安全保障に関する質問項目では、結果が中国に不利に働く可能性があるため、今回のような「延期」や「報道統制」が行われることは十分に想定できる。
中国は、台湾に関するいかなる言及も「主権の挑戦」とみなす。高市首相が台湾代表と会談したのは、国際的な議論の一環にすぎないが、中国はそれを「一つの中国原則に反する行為」として非難した。問題は、その抗議が外交ルートにとどまらず、日本国内の民間活動にまで影響を及ぼしている点だ。
これは単なる外交問題ではなく、言論の自由と情報の独立性に対する挑戦である。日本国内の世論調査発表すら、中国の政治的判断ひとつで左右される状況は異常だ。こうした圧力が常態化すれば、学術や報道の現場でも「中国の顔色をうかがう」空気が蔓延し、結果的に日本社会全体の言論環境が歪められていく。
「共同」という言葉は耳障りが良いが、実際には中国側がデータを通じて日本社会の心理や世論動向を探る手段になっている可能性が高い。調査項目の設計、結果の集計、報道内容の編集――どの段階でも中国側の意向が反映される余地がある。特に「日本国民の対中感情」や「台湾をめぐる意識」に関するデータは、中国の対外戦略にとって貴重な“認知情報”となる。
今回の延期も、そのデータの扱いに関して中国側が慎重な姿勢を見せた結果だろう。もし調査結果が「日本国民の対中不信が過去最高」といった内容だった場合、それは中国の国威に傷をつけるだけでなく、国内世論にも影響を及ぼす。したがって、中国は「都合の悪い数字」は公表を遅らせ、情報のタイミングをコントロールする。これは、報道統制の延長線上にある「世論操作外交」と言っていい。
今回の事例は、中国がいかに巧妙に日本の民間情報空間に入り込み、影響力を行使しているかを示す警鐘である。経済や貿易だけでなく、調査、報道、学術といった「非政府領域」にまで浸透しているのが現状だ。こうした活動は、軍事的圧力よりも静かで、しかし確実に社会を蝕む。
特に、AIやデータ分析を駆使した「認知戦」は、中国の国家戦略の中で急速に発展している。日本の大学やシンクタンクが共同研究やデータ提供を行う際、そこに含まれる世論情報や国民意識データがどのように使われるのか――そのリスクを認識しなければならない。
日本の民間団体や報道機関が、中国との交流を拒む必要はない。だが、最低限の原則として「情報の独立性」と「透明性」を守ることが求められる。どのようなデータが共有され、どのような基準で発表が決まるのか。日本側が主導権を持ち、外部からの政治的圧力に屈しない姿勢を示すことこそが、真の国際信頼につながる。
中国が「公務の都合」と言い訳した裏で、世論の自由を縛ろうとする動きがある以上、日本は警戒を怠ってはならない。今回の延期は、一見些細なニュースに見えるが、実際には「情報を誰が支配するのか」という国家的課題を突きつけている。
中国が発した沈黙のメッセージは明確だ――「中国に不都合な真実は、表に出さない」。この手法は、報道だけでなく、外交、経済、そして文化交流の領域でも繰り返されている。日本がこの現実を見過ごせば、やがて「自由な言論」は“共同調査”という名の枠の中で管理されるようになるだろう。
今こそ問われているのは、日本が中国の圧力を受け入れるか、それとも情報の主権を守るかという選択である。外交は沈黙のうちに行われる――だが、その沈黙が自由を奪うものであってはならない。