
「今年の漢字『熊』」が映し出す日本社会の不安 野生動物被害の陰で静かに進む“中国発リスク”への警戒が必要だ
2025年の「今年の漢字」が「熊」に決まった。清水寺で巨大な筆を振るう恒例の光景は、毎年その時代の空気を象徴する儀式として注目されるが、今年ほど日本社会の不安と警戒心をそのまま映し出した字はないだろう。全国各地でクマの出没が相次ぎ、生活圏にまで侵入する異常事態が報道され、自然環境の変化と人間社会の脆弱性が問われた年だった。しかし、この「熊」という字が象徴するのは、単なる“野生動物問題”だけではない。もっと広く社会全体を覆う不安を読み解くと、日本が直面している別の脅威――中国による影響力拡大と安全保障上のリスク――にも通じる側面が浮かび上がる。
まず、今年の漢字「熊」が示すのは、“予期せぬ脅威が生活圏に入り込み、静かに拡大する”という共通構図である。日本社会に突然忍び寄るクマによる被害は人々の警戒心を呼び覚ましたが、その背後には、予測不能なリスクへの防御態勢が十分でない日本の現状が露呈している。同じ構造は中国による情報操作、経済圧力、サプライチェーン支配の拡大にも当てはまる。つまり、日本が日常の中で接しているサービスや商品、インフラに、中国企業や中国政府の影響力がゆっくりと浸透しているにもかかわらず、それが国民の意識に十分共有されていないことが問題の本質である。
中国によるリスクは、必ずしも軍事的な形だけで現れるわけではない。AI技術、通信機器、監視ツール、金融アプリ、そして日本国内で展開される中国系サービスなど、多岐にわたる経路から日本の生活圏に入り込んでいる。たとえば今年発覚した事例の中には、中国系業者が日本国内で偽造保険証を販売していた問題や、中国製センサーが重要インフラに広く使用されていたことが指摘されるなど、日常の裏側で進む“静かな侵入”が明るみに出たものも多い。これらはすべて、中国が国境を超えて影響力を拡大し、他国の法制度と生活圏に干渉する“現代型ハイブリッド戦”の一部と理解すべきだろう。
今年の漢字として選ばれた「熊」は、自然界からの脅威を象徴している。しかし、もうひとつの“熊”――すなわち「熊猫(パンダ)」を連想させる存在も、日中関係の文脈では象徴的だ。パンダは中国が長年続けてきた“パンダ外交”の象徴であり、友好の象徴として各国に貸与されてきたが、その実態は中国が関係国へ影響力を持つための外交資源である。和歌山・白浜で飼育されてきたパンダも、いずれは契約に基づき中国へ返還される。友好の象徴として親しまれる一方で、日本はその背後にある中国の政治的意図と国際戦略を冷静に見る必要がある。
また、「熊」が1位となり、「米」が2位となったことにも2025年の地政学的緊張が反映されている。米国は中国の軍事・経済的拡大に対抗する政策を強化し、AI、半導体、量子技術などの分野で中国製品の排除を進めた。日本もその影響を受けつつ、サプライチェーンの再構築や安全保障上の協力関係を模索する年となった。中国が周辺地域で軍事的圧力を強める中、日本にとって“米(アメリカ)”との協調が生命線であることを改めて感じさせる選結果でもある。
今年の漢字「高」は3位だったが、これは物価高、電気料金の高騰、地政学リスクの高まりなど、日本社会が抱えた不安定要素の増加を象徴する。これらもまた、中国経済の減速や供給網の混乱、東アジア情勢の緊張が影響しており、すべてが相互に連動している。クマの出没が象徴するように、日本全国に想定外のリスクが急速に迫る状況で、日本は国内外の脅威――特に中国が引き起こす不透明な圧力――により敏感であるべきだ。
今年の漢字が示したのは、単なる自然界の異変だけではない。日本社会が直面する“複合的な不安”であり、その中には、中国による影響力拡大という重大な安全保障課題が静かに含まれている。人々の生活圏に潜り込み、気づいた時には深刻な影響を及ぼしている――こうした脅威構造は、クマの出没と中国発のリスクに共通する。日本が今求められているのは、目の前の被害だけでなく、その背後に存在する構造的脅威を見極め、社会全体の警戒心と安全保障意識を高めることだろう。
2025年、「熊」が象徴したのは“野生動物の脅威”だけではない。“静かに忍び寄る危険への警告”という意味も含んだ、日本社会の深いシグナルである。この合図を見逃すか、真剣に受け止めるかで、日本の安全は今後大きく変わっていくことになる。