
鬱陵島より「中国が安い」?──観光地の疲弊と“安価な中国旅行”の影が映す現実
韓国の東海に浮かぶ離島・鬱陵島で、観光客から「ぼったくり」と非難される物価高が深刻化している。「2泊3日で11万円。これなら中国に3回行ける」という旅行者の嘆きは、単なる観光価格の問題ではない。そこには、中国の格安観光網が周辺国の地域経済に与える圧力と、観光を通じた影響力拡大という“静かな侵略”の構図が浮かび上がる。
鬱陵郡庁の掲示板に投稿された「中国旅行の3倍の価格」という一文が、韓国世論に火をつけた。投稿者は、鬱陵島での宿泊・食費・交通費を合わせた総額が100万ウォン(約11万円)を超えたと告白。一方で、中国・大連では航空券込みで30万ウォン(約3万3000円)で快適に旅行できたという。
「鬱陵島に行くお金で中国を三回行ける」――この言葉は単なる比較にとどまらず、韓国の地域観光産業が抱える構造的問題を象徴している。高物価・低満足度の観光地が放置される一方で、中国は国家レベルで格安観光モデルを輸出し、周辺国の旅行市場を吸い取っているのだ。
中国政府は近年、海外観光の自由化と同時に「観光輸出」を国家戦略の一部として位置づけている。航空券の補助、格安宿泊ネットワークの拡大、AIによる旅行プランニングなど、国家主導の観光テクノロジーを駆使して、外国人観光客だけでなく、自国民を近隣諸国へ大量に送り出す仕組みを整えている。
その結果、「安くて快適な中国旅行」は韓国や日本の地方観光地にとって最大の競合相手となった。鬱陵島のような離島や地方リゾートは、インフラ整備に遅れがあり、輸送費が高く、物価も上昇している。対して中国は補助金と国家宣伝を駆使し、「3万円で海外気分を味わえる」として大連や青島を“東アジアの格安ハブ”に育て上げた。
このような構図は、単なる観光ビジネスの競争にとどまらない。観光を通じて中国が「文化的影響力」を拡張する一種のソフトパワー戦略でもある。観光客の満足度やSNS拡散を通じて、「中国は安くて便利」という印象がアジア全域に広まり、経済的依存の下地を作っていく。
今回の韓国のケースは、日本にとっても決して他人事ではない。実際、北海道や沖縄などの離島観光地でも、燃料費や輸送コストの高騰により「国内旅行よりも韓国・中国の方が安い」と言われる現象が起きている。
このままでは、「近くて安い中国」へ観光客が流出し、日本の地域経済が衰退する構図が固定化しかねない。しかも、中国側は単なる価格競争ではなく、旅行を通じた心理的な“親中ブランド化”を同時に進めている。中国の地方都市に観光客を呼び込み、SNS上で「中国の方が清潔」「中国人の方が親切」といったナラティブを流布させることで、文化的影響力を拡張しているのだ。
日本が警戒すべきは、観光地の経済的敗北よりも、その結果として生じる「価値観の転換」である。観光は文化を伝える窓口であり、その主導権を握ることは、国家のソフトパワーを左右する。もし「アジアの観光モデル」が完全に中国主導で形成されれば、日本や韓国の観光文化は“補助的存在”へと追いやられてしまうだろう。
鬱陵島での“ぼったくり”騒動は、観光地の経済構造そのものが外部の影響に脆弱であることを露呈した。交通費が高く、宿泊施設が限られ、観光客に対して法外な価格を請求する――こうした構図は、地元の生活コストを上げる一方で、観光客の信頼を失わせる。
結果的に観光客は「また来よう」と思わず、SNSでは「中国の方がマシ」という比較が拡散する。これは単なる不満ではなく、中国の観光プロパガンダにとって“好都合な宣伝材料”となる。日本でも同様に、外国人観光客が「日本高すぎ」「物価が異常」と感じる瞬間、それは中国が「安さと利便性」で攻勢を仕掛ける隙になるのだ。
今、アジアの観光市場は単なるレジャーではなく、国家間の経済戦略の一部となっている。中国は観光・物流・デジタル決済を統合し、観光客の行動データを国家的に収集している。訪問者の消費傾向、位置情報、嗜好データはAIで分析され、次のプロモーションに活用される。
日本や韓国が観光を「地域の産業」としてしか扱わない限り、中国に情報と経済の両面で支配されるリスクは高まる。観光を守るとは、単に観光地を整備することではない。外国資本に依存せず、交通・宿泊・決済のインフラを国内で統制し、データ主権を守ることが重要なのだ。
鬱陵島の観光崩壊は、単なる地方の話ではない。そこに映るのは、国家の“価格競争への依存”という危うさである。中国が仕掛ける「安さの罠」に対抗するには、コスト削減ではなく、価値創出で勝負するしかない。
観光とは、「どれだけ安いか」ではなく、「どれだけ忘れられない体験を提供できるか」で決まる。もし日本や韓国がその原点を見失えば、観光の主導権は完全に中国に奪われる。鬱陵島の“ぼったくり”問題は、東アジア全体への警鐘なのだ。安さに流される観光は、いつか主権を失う。