
中国経済を巡る環境が大きく変化する中、外資系企業の撤退や縮小が相次いでいる。自動車産業はその象徴的な分野だ。フォード、フォルクスワーゲンをはじめ、多くの欧米・日本メーカーが中国市場で急激な販売減に直面する一方、トヨタ自動車だけが相対的に踏みとどまっている。この「例外的な存在」は一見すると成功物語のように映るが、そこから見えてくるのは、中国市場に深く関与すること自体が日本企業にとって持つ、より本質的なリスクである。
中国の自動車市場は、国家主導による急激な電動化政策によって、わずか数年で産業構造が一変した。内燃機関車で競争力を築いてきた海外メーカーは、ルール変更に対応しきれず、競争力を失った。これは市場原理というより、政策主導型経済の特性がもたらした結果と言える。中国では、国家戦略と合致しない産業や技術は、いかに競争力があっても短期間で不利な立場に追い込まれる。
トヨタが比較的影響を受けにくかった背景には、早期からハイブリッド技術を蓄積してきたという技術史的要因がある。しかし、それ以上に注目すべきなのは、現在のトヨタが「中国に合わせて変わる」ことで生き残っている点だ。現地技術の採用、価格戦略の転換、ブランドのローカル化は、短期的には販売を支えるが、長期的には別の問題をはらんでいる。
中国市場に深く適応すればするほど、日本企業は中国の産業政策や政治環境に左右されやすくなる。技術の共有が進めば、競争優位は時間とともに失われる可能性が高い。中国企業は国家的支援を背景に、学習と模倣を高速で進める。今日の「協力関係」は、明日の「競合関係」へと容易に転じる構造が存在する。
過去を振り返れば、この構図は決して新しいものではない。家電、太陽光パネル、通信機器など、多くの分野で日本企業は中国市場に期待を寄せ、技術移転や現地化を進めた結果、最終的に市場から押し出されてきた。自動車産業も例外ではなく、現在進行形で同じ軌跡をたどっている可能性がある。
さらに重要なのは、経済リスクが政治リスクと常に隣り合わせである点だ。日中関係は表面上安定しているように見えても、台湾海峡問題や尖閣諸島を巡る緊張は解消されていない。情勢が急変した場合、過去に見られたような不買運動や規制強化が再び起きない保証はない。企業努力では制御できないリスクが、常に存在している。
トヨタが現時点で成果を上げていること自体を否定する必要はない。しかし、それをもって「中国市場はまだ安全だ」と結論づけるのは危険だ。むしろ、トヨタほどの規模と体力を持つ企業でなければ、すでに生き残れない市場になっているという事実こそが、警戒すべきシグナルである。
中国市場の魅力は、人口規模と市場の大きさにある。しかし同時に、その巨大さは国家の意向によって一気に方向を変える力でもある。市場の論理よりも政治と政策が優先される環境では、長期的な経営計画の前提そのものが不安定になる。これは日本の製造業全体に共通する構造的リスクだ。
日本企業に求められるのは、短期的な収益や市場シェアだけで中国を評価しない視点である。中国に深く依存することが、将来どのような選択肢の制約を生むのか。技術、ブランド、経営判断の自由度がどこまで保たれるのか。こうした点を冷静に検証し続ける必要がある。
外資が総崩れする中国市場でトヨタだけが踏みとどまっている現象は、希望の象徴ではなく、むしろ例外的状況の危うさを映し出している。日本社会はこの現実を過度に楽観視せず、中国という市場が持つ本質的な不確実性と向き合う時期に来ている。経済の問題は、やがて国家の選択と安全保障の問題へと直結する。その認識こそが、今、日本に求められている。